長年、読書をしていると「本はこう読むべきだ」とか「自分のレベルに合った本はこれだ」みたいな感じで凝り固まってくる。
それって良い面もあるけど、読む本が固定化されてしまったり、背伸びする機会も失われるから負の側面もある。
僕も例外なく凝り固まっているタイプで「読みやすい本」とか「仕事で役に立つ本」ばかりを追い求めていたんだよね。
でも、覚醒した。この本が目覚めさせてくれた。
序盤では速読のやり方や本の選び方など「スキル」の解説もあるけど、僕が刺さったのはもっと内面的な部分。
著者の体験談というか、情緒的なところが全面に出ているのがすごく良かった。
印象的な記述を引用しつつ、感想を述べてみたいと思う。
紙の本が速読に最適な理由
電子書籍と紙の本のちがいを、わかりやすく明文化してくれている箇所を引用した。
一時期、僕は紙の本をやめて電子書籍に完全移行しようとしたことがある。
紙の本をやめれば部屋がスッキリするし、「スマホにすべての本が入っている」という全能感にくすぐられる部分もあったからだ。
しかし、実際にやってみて「ああ、これはダメだ」と思った。
なぜなら、拾い読みや飛ばし読みが非常にやりにくいから。
僕はビジネス書や実用書を読むとき、間違いなく飛ばし読みや拾い読みをする。既知のページを飛ばしたり、自分にとって必要な知識を効率的に集めたいから。
まず目次をみてあたりをつける。そして、必要なページを読む。ときには、以前のページに戻って読み返すこともある。
著者のいう「大局判断」というのは、まさにこのこと。本の全体像や結論を知るうえで、紙の本はうってつけなのだ。
紙の本だと、ページの角を折って(ドッグイヤー)、自分の気に入ったページを視覚的にも感覚的にマークすることができる。
こうした読み方が、電子書籍だと非常にやりにくいのだ。というか、ほぼできない。
そのことに気づいて以来、僕は電子書籍で読むのはマンガだけと決めている。
この棲み分けが自分のなかでハッキリ決まって以来、紙の本と電子書籍を非常にうまく活用できるようになった。
「本を読んだあの場所」という美しい記憶
「読んだ場所を思い出せる本」を、いくつ持っているだろうか?
僕には幸い、1冊だけある。チャールズ・ブコウスキーの『ありきたりの狂気の物語』という本だ。
はじめての一人旅。京都の鴨川。黄昏時に川沿いで読んだあの本の記憶。
川のせせらぎ、遠くから聞こえる人々の話し声、ページを繰る手の感覚。
たった20〜30分の出来事だったけれど、今でも鮮烈に美しい記憶として刻まれている。
僕はこの1度の経験しかないけど、あらゆる旅先で読書を重ねていけば、そのぶんだけ人生を彩る美しい思い出が紡がれていくんだと思う。
本と場所が、記憶となって結びつく。これこそ、代えの効かない自分だけの読書体験なんだろうな。
「なりたい自分」のための積ん読
多くの読書家と同じく、僕も積ん読に悩まされている人間だ。
いや、厳密には”悩まされていた”人間だった。
僕にとっての「積ん読を生み出す定番(流れ)」というのは、
- ① 書店で惹かれる想定の本を見つける
- ② 中身を読んで「自分でも読めそう」
- ③ 購入
- ④ 自宅で読んで「めっちゃむずい…」と後悔
- ⑤ 積ん読の仲間入り
という感じ。
かんたんにいえば、書店での高揚感の作用で自分の読書力や好奇心を過信してしまい、本を買ってしまうのである。
以前までは「仕方ない」というか「あきらめ」の感情で片付けていた。
積ん読はもう避けようのない因果なのだと。後ろ向きな捉え方である。
しかし、本書を読んで積ん読に対する考え方はガラッと変わった。
なるほど、積ん読というのは「なりたい自分」を具現化してくれているんだ。
現在の自分と、積ん読を読めない自分の乖離。この現実を前向きに受け止めて、その本を読める自分になるために進めばいいんだよね。
積ん読が読めない理由はいろいろあると思う。
- 本を読む時間がとれない
- 本を読むための知識が足りない
- 本を読む意欲が沸かない
いずれにせよ、これらの原因を解消するために、自分をあらためようとする意識が芽生える。
古典作品を信用する(読めないのは自分のせい)
古典作品との付き合い方も、読書家を悩ます問題だと思う。
さきほど書いた「積ん読は、なりたい自分を映している」という話に関係してくるけど、なかなか古典作品が読めずに悩んでいる人は多いだろう。
僕もその一人なのだけど、超名作と呼ばれるような本でも読めないことがある。
僕は、読めない古典作品に出くわしたとき「こんなの、読んだ気になって、いい顔をしたいだけなんだろ、みんな」と片づけてしまう。完全に性格が歪んでいる。
しかし、冷静に考えてみると、おもしろくない・役に立たない本が何百年も生き残っているわけがない。著者の言う通りだ。
だから、古典作品は無条件で信用する。もし、その作品が読めない(おもしろさがわからない)のであれば、古典の楽しさがわかる境地に達するまで自分を高めていくしかない。
毒にも薬にもなる。でもそれがいい
本書は一般的な「読書本」とはちがって、著者の独自の視点が色濃い。
だから、本の選び方や読み方はかなり独特だ。
読書初心者が最初に読む読書本としては、少々味付けが濃い気もする。
もしかしたら、いろんな読書本を通り過ぎているせいで感覚がおかしくなっているのかもしれないが、僕はこういう本が大好きだ(著者に失礼)。
「本は好きなんだけど、同じジャンルばかり読んでしまう」と感じている人や「読書ライフに変化がほしい」という人にはうってつけの1冊だ。ぜひ読んでみてほしい。